歴史年表
日本ベッドには90年余の歴史があります。
明治大正時代、まだ日本が畳と布団の睡眠環境しか知らなかったころ、イギリスへ渡り「ベッドで眠る」というライフスタイルに
驚きと感銘を受けた一人の日本人、それが日本ベッド創業者 宇佐見竹治でした。
1920年代
年代 | 日本ベッドのあゆみ | 日本ベッドの商品 | 社会動向 |
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1926 |
帝国ホテルのページボーイとして働いていた宇佐見は「ホテルサービスの原点=人が心地よく過ごせるよう心をつくすこと」を体験し、「快適な睡眠」の重要性をよく知っていたのでしょう。ベッドでの睡眠がもたらす心地よさに触れ、この索晴らしい寝具を日本に広めたいと思ったのです。 帰国後、畳と布団の睡眠スタイルに慣れ親しんだ日本人に合うよう、ベッド&マットレスという寝具のスタイルを研究。1926(大正15)年に、日本初のベッド製造会社「日本羽根工業社—JAPAN BEDDINGS MFG.CO., LTD.」を興しました。 これが、日本でのベッドの歴史の始まり。ちょうどこの年、元号が昭和と改まります。 創業時「日本羽根工業社」は日本初の洋式寝具を生産、続いて国産で初めての連結式スプリングマットレスの商品化に成功しました。1940(昭和15)年ころには、マットレスの本格的生産を開始。一般市販の他、大口特需にも拡大し、名実ともに「ベッドメーカー」となりました。しかし太平洋戦争への突入とともに、軍からの要請で再びふとんの製造に取り組むことになりました。日本初のベッド製造会社「日本羽根工業社」誕生(日本ベッドの前身)
宇佐見竹治の日記1908(明治41)年
帝国ホテルのページボーイ(ベルマン)として働いていた頃の日記。
来客・交友・給与など多彩な内容が、すべて英語で記されている。
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初期のカタログと納入先1935(昭和10)年頃
当時は鉄道省や日本郵船、有名ホテルや病院などに製品を納めていた。マットレスに詰めるパンヤや馬毛なども輸入、製品科目の中には「最新ドイツ式消毒精選羽毛」とあり、登山用寝具なども扱っていた。
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1926年昭和天皇即位。
元号が大正から昭和に。
1927年リンドバーグが大西洋横断飛行に成功。
1929年世界恐慌。
1931年満州事変。
1932年5.15事件。
1936年2.26事件。
1937-1945年日中戦争。
1942-1945年太平洋戦争。
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1940年代
年代 | 日本ベッドのあゆみ | 日本ベッドの商品 | 社会動向 |
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1946 |
太平洋戦争が終わったものの住宅不足は著しく、当時の全住宅戸数の3分の1にあたる 240万戸が不足しているといわれた時代でした。国情は食糧不足を補うことで精一杯で、住宅建設が本格化するのは1950(昭和25)年の住宅金融公庫設立からとなります。 日本ベッドは、1940年頃には、マットレスの本格的生産を開始し、一般市販の他、大口特需にも拡大。 業界を代表して進駐軍から大量のマットレスを受注することもありました。 その後、政府の住宅政策にあわせて、日本ではまた未開拓だったベッド市場に乗り出します。 社名を現商号 「日本ベッド製造株式会社」とする
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戦後のカタログ1950(昭和25)年頃
このころは進駐軍、官庁、ホテルや船舶装備関係などを相手先としていた。カタログ内容を見ると、先駆者として啓蒙に努め、商品を細かく解説している様子がうかがえる。
カタログ表紙の建物写真は、 当時の本社事務所全景。
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1946年日本国憲法公布。
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1950年代
年代 | 日本ベッドのあゆみ | 日本ベッドの商品 | 社会動向 |
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1954 |
傘下に日本鉄工株式会社を設立
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#46
1951(昭和26)年カタログよりへッドポードにボタン留めを施した最高級品。両脇に「スタンド」がコーディネートされている。和洋室両用に。
![]() NB-M4
1951(昭和26)年カタログより和室での生活に便利なよう、折りたたみ式の脚を使った家庭用普及品。
![]() #101
1951(昭和26)年カタログより総桐の数奇屋風。和室に置かれることを意識した竹張りのデザイン。
![]() NB-4型ベッド
1951(昭和26)年カタログより当時の最新型で、木枠のないタイプ。いわゆる「ハリウッドベッド」とよばれた。和洋室いずれにも調和するよう、カラースキーム(色彩計画)に基づいた企画が練られていたが、残念ながらカラー写真は現存していない。 ![]() |
1954年電気冷蔵庫、洗濯機、テレビが「三種の神器」とよばれる。
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1956 |
南極越冬隊の防寒具、寝袋として採用される1956~1960(昭和31~35)年
日本ベッドの羽毛製品は、素材や縫製の質のよさが認められ、1951 年、 国民的行事としてスタートした南極越冬隊やマナスル登頂隊員 にも、防寒具として着用された。
写真はマナスル登頂隊員着用の防寒具。 ![]() |
1960年代
年代 | 日本ベッドのあゆみ | 日本ベッドの商品 | 社会動向 |
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1960 |
大田区に久ヶ原工場を完成 |
スプレッドを使ったフルメイク
1960(昭和35)年カタログより納品先でフルメイキングされた状態。
![]() NB6-31
1960(昭和35)年カタログよりボトムスプリングの上にマットレスを載せた、いわゆるダブルクッションタイプ。 ![]() |
1960年~東京オリンピックに向け、ホテル建設ラッシュ。
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1961 |
大阪営業所 開設 |
1961年高度成長期。余暇時間の増加によるレジャーブーム。
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1963 |
名古屋営業所 開設 |
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1964 |
九州営業所 開設 |
1964年東京オリンピック開催。
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1965 |
6階建新社屋完成。1〜3階をショールームに
1960年代後半(昭和40年代)に入ると「昭和元禄」とよばれる生活に余裕のある時代を迎えました。主流のダブルクッションだけではなく、シングルクッションタイプや引き出し付ベッドなども展開します。 |
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1966 | 北海道営業所 開設 |
1966年いざなぎ景気始まる。
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1967 | 系列会社として日本ベッド販売㈱設立 | ||
1968 | キングコイルベッドの日本製造元となる |
1970年代
年代 | 日本ベッドのあゆみ | 日本ベッドの商品 | 社会動向 |
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1970 |
1973(昭和48)年、79(昭和54)年と二度にわたる石油ショックの影幣を受け、新設住宅の着工数は年間180万戸から120万戸程度に減少。住宅価格の上昇、所得の伸び悩みなどの経済状況から、家具業界においてもより一層のコストダウンに追われました。厳しい環境下にあった時代でしたが、「ヴァロア」「パラゴン」「ハードエッヂ」など、数多くのヒット商品を生みだしました。
静岡営業所・仙台営業所 開設 / 茨城工場完成茨城県水海道市敷地58,000㎡の自社工場
茨城工場完成1970(昭和45)年
自社工場内は常に清潔さと安全性をキープ。豊かな緑と清らかな空気に囲まれた人にやさしい環境の中、愛情を持ってひとつひとつの作業にあたり、卓越した技術と伝統の製法によって製品を生み出している。
大阪万博1970(昭和45)年
日本ベッドが参加したサンヨー館は大阪万博の目玉パビリオンだった。
「未来の生活空間」を演出したファミリーコーナーには、当時の最新技術を駆使した展示品が並ぺられた。日本ベッドは、スイッチひとつで姿勢を変えられるリクライニングベッドを出展。来場者は防音遮光の完全なプライベートルームとして作られた「健康カプセル」内で、くつろぎを体感した。
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ヴァロア1970(昭和45)年
厳選された材質、入念な仕上げの高級ベッド。欧米で流行していたピロートップを日本で初めて採用。
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1970年日本万国博覧会(大阪万博)開催。
1972年札幌オリンピック開催。
1973年オイルショックによる急激なインフレと物不足。
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1974 |
1974年には通産省認定(Gマーク)商品「ハイライフユーロピアン」を発売。 迎賓館赤坂離宮開館1974(昭和49)年
各国のVIPをお迎えする迎賓館には、日本ベッドオリジナル製品が全寝室に。 ![]() |
1974年迎賓館赤坂離宮開館。
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1975 |
1975年に発売した「テリーメイヤー」は14年間にわたるロングセラーとなります 製品安全協会より住宅用スプリングマットレスに関する工場等登録(SG)を受ける |
1975年第二次ベビーブーム。
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1976 |
1976年、JIS規格で、住宅用普通ベッドの長さは1950mmと定められました。 戦後、本格的にスプリングベッドの生産を始めた日本ベッドでしたがそのころの主な納入先は進駐軍でした。当時の米軍ベッドは高級将校のもので2030mm、一般の兵士用は1900mmが基準でしたが、進駐軍では兵士に1950mmのベッドの使用を認めました。その需要に応えていた日本ベッドの製品サイズがそのまま、以後の日本のベッドサイズの元となっていったというわけです。 |
ハイライフユーロピアン1976(昭和51)年カタログより
通産省選定(Gマーク)商品。ローズウッドのしっとりと落ち着いたムードにローポジションの、強烈な個性を持っていた。
![]() テリーメイヤー1976(昭和51)年カタログより
臼木の美しさを生かしたシンプルなデザインのローポジションベッド。
記録的なロングセラーとなった。
![]() 50周年記念「ハードエッヂDX」発表 1976(昭和51)年
ボトムを台輪で支える構造のローポジションベッド。日本の家屋にマッチするデザインを意識。 ![]() |
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1977 | 通産商業省選定(Gマーク)を受ける | ||
1979 | 通商産業大臣より日本工業規格(JIS)表示許可を受ける |
1979年第二次石油ショック
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1980年代
年代 | 日本ベッドのあゆみ | 日本ベッドの商品 | 社会動向 |
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1980 |
1980年、現ビーズシリーズの基となるマットレスを開発。 「熱処理と防錆」加工を施したポケットコイルスプリングの開発に成功
1981(昭和56)年加工を施したコイルを圧縮して不織布のポケットに収納。支持力と耐久性が飛躍的にUP。この技術を用いて画期的なポケットコイルマットレスを発売。 ![]() |
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1981 | 北関東営業所 開設 | ||
1983 |
イーヴス
1983(昭和58)年頃日本ベッドが開発した「プラットフォームシステム」。ボトム部分がスリムで圧迫感がない。 ![]() |
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1986 |
1980年代後半(昭和60年代)には「豊かさを実感できる住生活」が求められ 、ベ ッドについてもデサイン·素材·カラーから寝心地まで、きめ細かな対応が必要となりました。日本ベッドからは、この頃「ムーンライズ」「ノヴァサンド」「ソニアホワイト」をはじめ、機能性ベッド、材質バリエーションの豊かなフレームベッド、家庭向けホテルベッド、ヘッドオフタイプなど、多種多様な商品が発売されています。中でもオリジナルの「プラットフォームシステム」で「イーヴス」は大ヒットしました。 1994(平成6)年には、1ドル=100円を突破し「価格破壊」という流行語まで生まれた激動の時代に入りました。 |
ソニアホワイト
86~87年総合カタログより
![]() ノヴァサンド
86~87年総合カタログより
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1985年日本の総人口約1億2100万人に。
1986年バブル景気のはじまり。
1989年元号が昭和から平成となる。
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1990年代
年代 | 日本ベッドのあゆみ | 日本ベッドの商品 | 社会動向 |
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1991 | 大分出張所 開設/茨城工場 増設 |
ムーンライズドロアー
91~92年総合カタログより
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1991年バブルの崩壊。
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1994 | 名古屋ミニ・ショールーム 開設 | ||
1996 |
1990年代ごろからは寝心地の基本であるマットレスに着目し、1996年、満を持して「シルキーポケットマットレス」を発表しました。
70周年記念「シルキーポケットマットレス」発表。
超高密度構造で今も確かな寝心地を提供し続けている
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1999 |
東京本社にスリープ・ソリューション・スペースとしてCRO NOSショールーム 開設
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1998年長野オリンピック開催。
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2000年代
年代 | 日本ベッドのあゆみ | 日本ベッドの商品 | 社会動向 |
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2000 | 日本ベッド販売(株)を合併 | ||
2002 |
大阪営業所にスリープ・ソリューション・スペースとしてCRO NOSショールーム 開設
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トアール01~02年総合カタログより
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2002年日韓共催ワールドカップ開催。
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2003 |
青山一丁目にスリープ・ソリューション・スペースとしてCRO NOSショールーム 開設
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2004 |
カウンテス04~05年総合カタログより
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2005 |
環境に配慮する企業としてISO14001を取得
京都迎賓館開館2005(平成17)年
国公賓接遇施設として高度の安全性·機能性·快適性を確保し、日本文化と伝統的技能継承の場として機能する京都迎賓館。マットレス全数他、多数商品を納品。 ![]() |
2005年京都迎賓館開館。
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2006 |
2006年にはスプリングの線径レベルから見直したマットレスを新開発し、80周年を記念して「五感で感じる」をテーマに体感展示会を開催。積極的に眠りに関する情報を発信しました。 創業80周年 記念展示会開催2006(平成18)年6月
新宿リビングデザインセンターOZONEにて「五感で感じる」をテーマに「SLEEPSOLUTION-stage1~五感で感じる快眠空間~」と題した体感イベントを開催。ベッドメーカーとしてのノウハウを活かし、眠りに関する情報発信を通じて、マットレスなどのハード面だけでは表現しきれないソフト面での「快眠提案」を行った。
7月には大阪ショールームと同ビル内会場においても、同テーマの展示会を開催。
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ラフィア06~07年総合カタログより
![]() 線径レベルから見直したマットレスを新開発2006(平成18)年
80周年を迎え、寝心地のもっとも根本的な部分であるスプリングにこだわり、線径レベルから見直したマットレスを新しく開発。1.2ミリから1.7ミリまで0.1ミリ刻みの6種類のスプリングを組み合わせて、寝心地を表現。表面のクッションだけでは実現し得ない、より深い骨格部分で身体を支えるほんものの安心感、安定感を持ったマットレスとなった。
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2010年代
年代 | 日本ベッドのあゆみ | 日本ベッドの商品 | 社会動向 |
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2010 |
名古屋ショールーム 開設
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シルキーパフ眠ることによって体を整えながら、気持ちまで癒されるマットレス。
女性のお客様に好評。 ![]() |
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2012 |
仙台ギャラリー(仙台花京院ショールーム)開設
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2014 |
福岡ショールーム 開設
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シルキーシフォン朝目覚めて爽やかな気持ちにさせてくれるマットレス。心地よいふんわり感の中に、モチッとした弾力性が。
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2016 |
そして2016年。90年に亘り日本のベッドの歴史を刻んできた当社は、現代版手づくりマットレスの製作など、改めてものづくりの原点に立ち返りました。今後ますます多様化するライフスタイルやニーズに、新たな気持ちと最新の技術で取り組んでまいります。 広島営業所 開設
90周年記念手づくりマットレス製作2016(平成28)年
継承された独自の技術によるポケットコイルマットレスは上質で快適な睡眠を提供している(画像はイメージ) ![]() |
True To Good Sleep
– 日本ベッドの手づくりマットレス –詳しくはこちら
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